技術・製品の変遷

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ケータイ・スマホが普及
ネットワーク化
イビデンの
技術・製品
年代 1912年〜 1945年〜 1960年〜 1970年〜 1980年〜 1990年〜 2000年〜

〜世界の変化と共に歩んだイビデンの100年〜

1912年〜 イビデンの創業とものづくりの始まり

初代社長 立川勇次郎

初代社長 立川勇次郎

創立総会(1912年11月25日)

創立総会(1912年11月25日)

産業都市・大垣の礎として創立

岐阜県大垣市は、かつては美濃最大の雄藩であり、また揖斐川の水運を利用した百貨集散の地として繁栄していました。しかし、明治となり貨幣経済が進展し米穀の時代が終焉、また物流の主役も船から鉄道に移ったため、その地位は大きく揺らいでしまいました。

大垣の衰退を憂いた地元の有力者達は産業都市への転進を志し、揖斐川を利用した水力発電・電力供給により、企業誘致を目指します。そして、大垣出身の実業家・立川勇次郎を初代社長に迎え、1912年「揖斐川電力株式会社」が創立されました。イビデンのはじまりです。

国産初の縦軸水車

国産初の縦軸水車

建設中の東横山発電所

建設中の東横山発電所

発電事業・苦難の船出

電力会社の場合、発送電までに時間と多額の資金を要しますが、折悪く当時は不況の最中にありました。加えて勃発した第一次大戦により、ドイツに発注していた発電用の水車も輸入出来なくなりました。

資金繰りの奔走、国産初の縦軸水車の採用、そして、重機も車もない時代の難工事、全てを当時の社員は克服していきました。1916年、揖斐川上流域に当社初の水力発電所「西横山発電所」を完成。その後、東横山発電所(1921年)、広瀬発電所(1925年)、川上発電所(1935年)、西平発電所(1940年)を建設・完成し、発電能力を拡充していきました。

※この映像は再生すると音が出ます。

大正時代の電気炉事業

大正時代の電気炉事業

当時の作業風景

当時の作業風景

ものづくりの始まり・電気化学事業

水力発電は渇水期、豊水期により、年間の発電量の変動が大きく、特に水量を調整できない流れ込み水路式では常時使用可能な電力は限定的でした。従って、電力の合理的な活用から、各地の水力発電会社は電気化学事業に進出していきます。

当社も近隣の石灰産地を活用し、カーバイドの生産を開始。また、事業意欲にあふれる立川社長は、フェロアロイ(合金鉄)やカーボン事業にも進出しました。特に探照灯用カーボンの実用化に成功し、陸海軍の指定工場にもなりました。1918年、社名を揖斐川電化株式会社と改めました。

電力供給量の内訳(1935年度)

電力供給量の内訳(1935年度)

出資した西横山発電所

出資した西横山発電所

続く苦難、大資本傘下での経営再建

当社の供給する電力により、多くの紡績会社、化学会社が大垣に進出。地元発展の礎として創立された当社の役割は、ここに結実しました。

そこに訪れた関東大震災や金融恐慌、世界恐慌。度重なる経済危機により、当社は東邦電力(現 中部電力株式会社)、続いて大日本紡績(現 ユニチカ)の傘下になり、経営の建て直しを図ることになります。さらに日中戦争を機に電力の国家統制がはじまると、当社は1942年に西横山発電所を日本発送電に、西平発電所を中部配電に出資。電力供給事業から離れ、電気化学会社としての道を歩んでいきました。
1940年、社名も揖斐川電気工業株式会社に変更しました。

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